2018年11月17日

42期生台湾修学旅行 回想(6)

11月14日(水) 十份

 修学旅行中、自分が一番印象に残っているのはここ「十份」。「開墾した土地の持分を10人で分けたもの」という意味らしい。

 印象に残った理由は、生徒が線路上で天燈を空へ離したときの表情が生き生きしてフォトジェニックであることと、何といってもその線路に1時間に1本しか走らないディーゼル車を目撃できたから。

 次回、プライベートで台湾を訪問することがあれば、ここ「十份」まで「台北」からディーゼル車に乗って来たい。そして、近くにある「台湾のナイアガラ」と呼ばれる「十分大瀑布」という滝の周辺でほっこりしたいと思う。

 ただ、ディーゼル車が自分や生徒たちの目の前を通過した時、線路の両側の混雑ぶりを考えるとゾッとする。安全対策の責任が問われる日本では、とても考えられない光景だった。天燈を上げる行為も日本では絶対に無理。

 日本では絶対に無理なことを2つも体験できるので観光地としてはえげつないほど面白いが、もしも大事故があったときはどうなるんだろうと心配である。
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 以下は動画よりキャプチャー
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42期生台湾修学旅行 回想(5)

(広角19mmのコンパクトデジカメで撮影)

11月13日(火)午前 台湾総統府

 「総統」とは台湾の政治的な最高権力者のことで、初代は「蔣介石」、現在は女性の「蔡英文(ツァイ・インウェン・さい えいぶん)」。この建物の中で「総統」や首脳たちが仕事をしている。

 日本植民地時代の1919(大正8)年に完成。この建物が日本の台湾植民地支配の中枢であった。

 1945(昭和20)年5月、アメリカ軍による空襲で内部が全焼して損害を受けたが、日本の敗戦後、中華民国政府によって修復され、1949(昭和24)年に台湾に逃れた「国民党」政府により、ここが「台湾総統府」となった。

 日本植民地支配の象徴である建物が今もなお現役で使われており、しかもここで台湾の最高権力者が仕事をしているのである。

 この日はシェラトンからタクシーで台湾総督府まで行ったが、なんと「100ニュー台湾ドル」札1枚を出していくばくかのおつりが来た。なんと400円もかからなかったということ。初乗り「680円」に慣れているものとして、この安さは嬉しかった。

 正門前でタクシーを降りてしばらくその余りの美しさに見とれる。その後、当然のように撮影し始めると、マシンガンを肩から下げた兵隊が自分に近づいてくる。

 「やばい」と思い先手を打って「ここで撮影していいですか」と英語で聞くと、中国語でなんじゃかんじゃ言われるも理解できず、彼のジェスチャーでようやく道を挟んだ向こうの歩道からならええよ、と言っていることを理解した。
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 回想(2)で紹介した「ガジュマル」の街路樹。
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 「ガジュマル」の巨木
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 回想(1)で紹介した「2・28和平公園」内にある「国立台湾博物館」。この重厚で古めかしい建物も日本植民地時代からのもので、1915(大正4)年に完成した。
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 神社の狛犬のように2匹の牛が正門入ったところに鎮座していた。

 これって日本の「天満宮(天神さん)」に絶対いる牛のタイプで、なぜこれが設置されたのか、そして日本の敗戦後、なぜ撤去されなかったのか不思議だ。
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 台湾地下鉄(MRT)「台湾病院駅」の出入口から撮影。赤レンガの建物は「台湾大学病院」で、これも日本植民地時代の遺構と思われる。
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 「台北101」12時30分集合にあわせて、「台湾病院駅」から地下鉄に乗車。駅構内は非常に美しく、飲食が許されている日本の地下鉄よりはるかにきれい。
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 エスカレーターで動かない人は右側へ。大阪的でいい。
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 「台北101駅」まで乗り換えなしで行けたのでラッキー。

 「台北101」は101階で高さは509m。2004(平成16)年に当時は世界一高いビルとして完成した。
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 午前中のプログラム「B&S」から帰還する生徒は、12時30分までに「台北101」に集合。全員満足そうでよかった。
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posted by ibanishi at 15:29| Comment(0) | 42期生

42期生台湾修学旅行 回想(4)

(広角19mmのコンパクトデジカメで撮影)

11月12日(月)午後 中正紀念堂

 「中正」とは「蔣介石」の本名。彼の功績をたたえる施設。

 中国大陸で1946年に始まった「共産党」との内戦に「国民党」は敗れ、その関係者や軍隊は台湾へ移った。彼らが「外省人」(昨日のブログでも登場)であり、その代表ともいえる「蔣介石」は1949年に台湾に逃れて翌年「総統」に就任した。

 なにかと「跳ぶ」ことが好きなグループ。
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 「蔣介石」が89歳で死んだことにちなんだ89段の階段を登る。
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 今や少数派となった「自撮り棒」(地鶏棒ではない)をもった一団。事前にブログを見てくれていたのか、棒は手荷物には入れなかったそうだ。
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 快晴はありがたいが、ヒリヒリするような日差しにバテ気味の生徒が自販機に群がる。しかし、お札が使用できず、初めての買い物とあってお札しか持っていない生徒たちは超ガッカリ。
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 台湾到着以来、ろくに水を飲んでいなかったので、急遽、アイスクリームの屋台で休憩することに。
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11月12日(月)午後 故宮博物院

 70万点の中国美術工芸品を所蔵。展示されているのは厳選された6000から8000点。3〜6か月ごとに展示品を入れ替えており、すべてを見るのに10年はかかると言われる。

 「共産党」との内戦に敗れた「蔣介石」が、北京の「紫禁城」内の「故宮博物院」から厳選した第一級の美術工芸品の大半を台湾に持ち去った。それらを展示しているのが台北の「故宮博物院」なのだ。
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 ケースの中にあるのが「肉形石」。「故宮博物院三大至宝」のひとつで、東坡肉(とんぽーろー)という豚の角煮の一種の彫刻。清の時代に作られた。
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 バスの車窓からたびたび見かけた選挙用の巨大ポスター。日本で言う「統一地方選挙」が近いうちにあるとのこと。
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 8組の面々。たまには「Vサイン」以外のポーズをしてほしい。
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posted by ibanishi at 07:43| Comment(0) | 42期生

42期生台湾修学旅行 回想(3)

(ミラーレス一眼レフ・単焦点レンズで撮影)

 シェラトン最後の夜
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 台湾の「一人当たりの購買力平価GDP」は日本よりも高い。国民の豊かさを表現する数値のひとつで、2017年は、1位カタール、2位マカオ、3位ルクセンブルク、4位シンガポール、5位ブルネイで、アメリカ13位、台湾19位、日本30位、などなど。

 台北に来てまずバイクの多さに驚き、ネオンや行き交う人々を見て1990年代の大阪ミナミや天王寺的な混沌とした活気を感じたが、実は数値的には日本人よりも豊かな生活をしているのである。

 そんな台北で驚いたもうひとつが公共バスの充実ぶりで、夜の見回りが終了してしばらくした12時以降もホテル前の大通りをバンバン走っていた。停留所が整備されており、利用者も多かったように思う。
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 地図を見ると、ホテルの真正面には「連邦政府庁舎(内政部警政署)」、ホテルの南側にある「セブンイレブン」の前に「連邦政府庁舎(外交部領事事務局)」とあり、下の赤レンガの写真は「外交部領事事務局」のもの。
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 確証はまったくないが、この赤レンガの壁はおそらく日本の植民地時代からのものだろう。植民地統治が終わって72年たった今もなお、国家機関の現役の建物として使われていることになる。

 生徒諸君が3泊した「シェラトングランド台北ホテル」は、日本で例えるなら各省庁が集結している東京の「霞が関」みたいな場所だったのだ。

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 最後にもうひとつ驚いたことは、無愛想な店員かな。

 コンビニで買い物をして、ニッコリ笑顔も「ありがとう」も、そしてレジ袋もなかったのには驚いたが、日本の常識は世界的にみれば「非常識」「少数派」であり、海外では「無愛想な店員」は珍しくないそうだ。

 生徒諸君はこの修学旅行を通じていろいろ見聞を広めたと思うが、わずか4日間とはいえ過ごして見聞きした「台湾」の視点から日本を見ても面白いのでは。

 少子高齢化と人口減少が進む日本で、我々が過剰なサービスを求めすぎるとどないなるんやろと、台北で「無愛想な店員」に接するたびに思うのであった。
posted by ibanishi at 07:42| Comment(0) | 42期生

2018年11月16日

42期生台湾修学旅行 回想(2)

(ミラーレス一眼レフ・単焦点レンズで撮影)

11月14日(水)午前 台湾総統府前 介壽公園にて
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 ガジュマルの葉っぱの向こうに見える古めかしい建物は「台北市立第一女子高級中学校」。日本の植民地時代の1904(明治37)年、台北の女子高等教育の拠点として、日本によって設立された。

 日本からの高校の修学旅行で、たびたび「学校交流」を実施している高校とのこと。
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 その高校の女子生徒がおそらく美術の授業であろう、たくさん写生に来ており、中には集団からはぐれて騒いでいる生徒たちがいて、教師らしき人物がかなりの剣幕で声を荒げていた。「いずこも同じことやっとるなあ」と笑ってしまった。
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 熱帯特有の「ガジュマル」の向こうに見えるのが「台湾総統府」。「ガジュマル」は日本では、種子島や屋久島以南の南西諸島でも生えており、沖縄では「キジムナー」と呼ばれる妖精が、「ガジュマル」の大木に住んでいるという言い伝えがある。
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 台北では「ガジュマル」の街路樹を各所で見かけた。
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 2・28和平公園にて
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11月14日(水)午後 九份
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posted by ibanishi at 23:45| Comment(0) | 42期生